2023/8/13より活動休止

正しいうそのつきかた

うそがつけなくて、困っている。

うそがつけない私は今…いや、昔から「詰んで」いる。

桜も早々に散り、私は大学4年生になった。大学4年生の春。就活の季節である。

私は今まで、どんなに学校が嫌でも登校拒否はせずに、なんとか通学して「普通の枠」のラインギリギリで踏ん張ってきた。つまり、私はみんなが思っているよりもえらいのである。「ちゃんと」社会に迎合して、レールに沿って歩く努力をしている。少なくとも、武蔵野線より私の方がスムーズに運行できている自信はある。

今この瞬間「普通じゃない」ことに憧れを抱く人は、武蔵野線をやさしく撫で上げた後「レールに沿う人生なんかつまらないだろう」と、私に対して脳内説教しているかもしれない。しかし残念ながら、マジョリティに有利なのが世界の摂理で、普通であることは幸福なことなのだ。レールに沿えるならば沿った方がいい。だから私は大学に進学したし、今もみんなと同じように就活をしている。

某リクルーティングサイトによると、日本には約400万の会社が存在しているらしい。胡散臭いオンラインサロンの数より多いのであれば、私に合う企業が世界にひとつもないということは絶対にあり得ないだろう。だから私は別に「就職したくない」とは思っていない。就活をして素敵な企業と縁があればいいなと心の底から願っている。だが、どうやら、私は確実に「就活はしたくない」らしい。理由は単純で、就活では「取り繕った虚像の自分で審査に臨め」という圧があるからだ。

正しく言えば、そんな圧は「客観的世界」には存在していなくて、私がそう感じているだけだ。しかし私がそう感じている時点で、私の世界では存在しているのである。この理論を屁理屈だと思うなら、そう思うがよい。だが、私のエッセイは私のルールで綴られていく。置いていかれないように読者のみなさまには是非とも、私の崇高な理論に対する理解度を上げてほしい。

「うそと建前が求められる」。こんなの、就活に限った話じゃない。家を一歩出てしまえば、人間はうそと建前をじょうずに使いこなすことが求められる。「ちゃんとした場」に「素」で乗り込むことは「非常識」だ。建前という虚構に身を包むことが社会のマナー。再三繰り返すが、これは当たり前のことである。うそと建前は悪者ではない。社会を円滑に回す方便であって、むしろ正義の存在なのだ。

うそがつけなくて困っている、と言うと正直者のすばらしい人間のように聞こえるかもしれない。だがみなさんもすでにお分かりのように、うそは社会を美しく構成する光であり、うそをつけるひとの方が社会的には清く正しく美しいのだ。

うそをついてうまく立ち回る。そんな当たり前を受け入れらず、学校という箱庭の社会ですら乗りこなせなかった私は、これからどこまでレールに沿って歩けるのだろうか。もし明日、大雨が降ったら。
 

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この記事を書いた人

白森 さわ まんが家・イラストレーター

絵や文章をかいたり、歌ったりしながら生きています。

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