才能の話は好きではない。
好きでない、というよりナンセンスだと感じてしまう。
おそらく世間一般的には、何か成功したり素晴らしい結果を残すには「才能」が必要だと考えている人が多いだろう。特にモノをつくる世界に身を置いていると、絶対にどこかで必ず「才能」という概念を耳にする。
「才能」といった個性やセンスのようなものは、確かに存在する。適材適所というように、人は得意なことがそれぞれ違う。
だが、実際のところ才能は思っているほど人生に影響を及ぼさない…否、才能だけで人生を変えることはできない気がするのだ。人生を豊かにするものは才能ではない。むしろ普段はあまり才能としてみなされない「本人の気質」や「運の良さ」の方がよっぽど、「結果」をもたらすものではないか。
(気質も含めて才能とも言えるが、今回は一般的に「才能」として指定される「ある特定の能力」のことを才能と呼ぶ。)
結局のところ各々の才能の違いなんてものは、ブルドックソースかオタフクソースぐらいの違いに等しい。そこに優劣をつけるのは時代と大衆であって、絶対的に優れている能力なんて存在しないのである。
・・・私が急に、死に際の老人のような説教を始めたのには理由がある。「自分は漫画家でありたいくせに、漫画家にからっきし向いていない気質をしているな」と半年に1回ぐらいの頻度で痛感するのだが、今ちょうどそれを感じるタイミングが来たのだ。そして、作家にとって一番大切なのは才能云々ではなく「精神力」だなと確信したのである。
いま、私の脳内渋谷で「漫画家のすごいところって何?」と街角アンケートを実施してみた。早速集まった回答をここで大発表しよう。
「物語を作れる」
「センスがある」
「絵が描ける」
「締め切りと闘っている」
「なんか才能がある」
なるほど。みなさん「作品をつくる能力」に目がいくようだ。だが私が思うに、本当に漫画家先生の一番すごいところはそこじゃない。
売れない限り労力に見合わない低賃金、かつ未来の見通しが立たない不安定な生活でも、漫画を描き続けることをやめない精神的タフさ。(未来よりも今を優先して生きることができる大胆な性格を持っている)
作品を世間に開示し、あらゆる批評に晒されながらも、それに耐えられる精神的タフさ。
この2つだ。
そして、残念なことに私はこれらの「タフさ」を両方持ちあわせていない。粛々と年金を支払い、NISAとiDeCoのシュミレーションをし、ねこが飼いたいがその命をしあわせにできる未来保証がないためYouTubeでもちまる日記を視聴して満足し、将来寝食に困らない可能性の高い生活を捨てられない女。平均台の上を小股で渡る足取りの人生だ。
そのため私は、便宜上自己紹介で漫画家を名乗ることがあっても、本当に自分が漫画家だと思えたことはこれまで一度もない。漫画家と呼ぶには「ふさわしくない」という認識でいる。
(応援してくれる方に「漫画家」と認識していただけること自体はとてもうれしいです!あくまで自己認識の話です。)
これは謙遜でもなんでもない。事実だ。現に漫画家デビューが決まった中3の時は、自分の作品に向けられるであろう批判(幻)と学業両立の可否といった現実的な未来への不安に負けて、音楽の授業中に過呼吸になり搬送された。そして2度目の連載時は空咳が止まらなくり、今月雑誌に読切が掲載されてからは眠れない日々を送っている。
漫画家としての器が皆無。でも私本人は漫画家として働きたいと強く希望しているし、仕事ができて嬉しいと思っているのだ。まったくチグハグな話だが。
漫画を描ける能力を持つ人は、世の中にごまんといる。だが、漫画家として生きるにはその能力だけでは絶対に成り立たない。むしろ、高い技術で漫画をかくことができるという能力なんかよりも「どんな環境にいても、漫画を描き続けられるタフさ」と「批評に溺れぬ自信と、筆を折らずにいられるタフさ」こそが、本当の意味で漫画家として生きるに必要な「才能」だと言えよう。
そして恐ろしいことに、漫画を描く能力に関しては訓練によって後天的に伸ばすことが可能だが、なにより重要な「タフさ」を鍛える方法論は確立していないのだ。宇宙人に攫われ未曾有の恐怖体験をするか、ヤのつく人から臓器を移植してもらえれば変われるかもしれないが。
だからこそ、漫画をずっと描き続けている「ホンモノの漫画家」のみなさんは本当にすごいなと思う。「役者は職業ではなく生き方だ」と大塚明夫さまが仰った通り、漫画家も職業ではなく生き方なのである。
「おもしろい作品をつくれる」ことは、ある種二の次なのかもしれない。作品クオリティだけで言うのであれば、アマチュアでも商業作家より独創的で面白い作品を描く人は存在する。それに、漫画家になれるかなれないか・漫画が売れるか売れないかは、正直運によるものも大きい(と私は感じている)ため、掲載歴や作品の単行本発行部数なんかはまったく漫画家自身の「すごさ」とは無関係な話だろう。
すごいのは、そこではないのだ。