芝居の稽古に復帰した。約半年ぶりだ。
私は2年ほど前から芝居の勉強をしている。だが半年前の昨年冬、就活本格化のタイミングで芝居を辞めた。就職後も稽古に通い続けるのは難しくなるだろうなと思い、もうこれきりのつもりで辞めた。
だがやっぱり、芝居は純粋に楽しいものだ。できるなら辞めたくない、忙しすぎて「完全に無理」になるまではとりあえず続けたいと、つい思ってしまった。
自分に芝居適性がないというのは、これまでの経験でよ〜〜く分かっているのだが、「才能が無いのならやってはいけない」なんて決まりはない。そんなわけで私は今月から稽古に復帰した。
そして案の定、半年ぶりの稽古は私に176のダメージを与えた。
しらもりの MPは セ゛ロとなった・・・
しらもりは ちからつきた・・・
~game over~
…説明しよう。白森は日常生活上ですら「人間が発するおおきな感情」が大の苦手なのである。例を挙げると「自分が怒られていなくても近くに怒鳴っている人がいるだけでメンタルダメージを受ける」といった具合だ。
実際に私は中学3年生の時、担任の先生がクラス全体に対して説教をした際にガチ泣きした。もちろん担任の怒りの原因は私ではなかったし、もちろん泣いたのは私のみだった。
この他にも諸々エピソードは尽きないのだが、とにかく私は、小学生に踏み潰される霜柱よりも脆いハートを持つが故、適性な社会生活を送れていないのである。
そんな私が、「感情解放」の場である稽古場で腰を抜かさず立っていられるのか、という話なのだ。答えは言うまでもなく、NO。私にできることは、へっぴり腰で白目を向くことだけだ。
とはいえども、一応私にも数年の芝居歴がある。最近は慣れもあって、劇など役作りがあるタイプの場であれば、問題なく他者から受け取った感情を整理できるようになった。敵は芝居すなわち演劇ではない。私にとってのラスボスは、「感情解放」トレーニングタイムなのだ。
これは講師によってやり方はさまざまだと思うが、私が受けている稽古では「感情解放」のプログラムをガチのガチガチでやる。そのため、感情解放中の稽古場はレッスン生の怒声や悲鳴、謎の笑い声で満ちあふれ、世界滅亡5分前のような阿鼻叫喚具合になる。
こうして稽古場にクソデカ感情(物理)ハリケーンが現れた瞬間、私のMPはすべて消えてなくなってしまうのであった。その直角下落の速度は、気まぐれ乙女の恋心が冷めるスピードを凌駕する。儚く脆いのは美少女の笑顔だけで良いのに、世界は不合理だ。
それほど感情が渦巻く空間が苦手なのに、なぜ芝居を続けようとするのかというと、それはやはり楽しさもあるからだ。「苦手」を超えた先に「楽しさ」があることを知ってしまっているから辞められない。なんだか注射が苦手なシャブ中と同じことを言っている気がするが、事実だから仕方がない。
長々と綴ってきたが、ようするに私は明らかに好きなことへの適性がないということだ。一応これでもマシにはなったのだが。
なにせ2年前…芝居を始めた最初の半年あたりは、稽古の時は必ず「半紙に包んだ清め塩」を「胸部のチャクラ」に貼り付けていた。「邪」(負の感情)の影響を受けすぎないように。字面で読んでもアレだし、実際に見てもアレな行動だと思うが、それぐらいしないと気持ち的にきつかったのだ。
今はチャクラに清め塩を備えなくとも稽古に参加できるようになった。それだけでも褒めてほしい。
今回は久しぶりすぎてMPを全消費してしまったが、しばらくすれば慣れてくるはずだ。今後も己の精神でチャクラを守りつつ、芝居の稽古に通い続ける所存である。