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ブログ日記

絵柄は作者に似るのか問題

「絵柄は作者本人に似る」

この文言を目にしたことがある方や、絵を描く友人を見て実際にそう感じた方も多いと思う。

私は仕事柄、イラストレーターや漫画家の方と会う機会が度々ある。少なくとも200人以上の方と名刺交換をした。突如「人脈は大切」だと謳う意識高い系ビジネスマンのような発言をしてしまい申し訳ないが、これは「絵柄と本人が似るのかという統計が私の中にバッチリ存在する」ということを示すための数字なので許してほしい。

そんなわけで、私にはそれなりに作者と絵柄を比較できる機会があったわけだ。せっかくなので今回は「絵柄は作家本人に似る」という言説に対して私なりの見解を述べていく。早速、単刀直入に申し上げよう。

「絵柄は、作者のとある一側面のマインドに、似る」

「とある一側面」「マインド」って何やねんという声が画面の向こう側から聞こえてくる。流石にこれだけでは読者諸君も納得してくれないと思うので一つ一つ説明していく。

まず、「作者に似る」という言葉の定義からさせてほしい。多分、巷では「作者に似る」という言葉を「作者の外見・雰囲気に似る」という意味で使っている人が多いと思う。しかしその場合「冴えないおじさん作家が耽美な美少女を描いている」時点でその理論は破綻してしまう。

ここでいちど、「作者に似る」を「作者のマインドに似る」と定義させてほしい。

「マインド」というのがちょっと抽象的なので具体例を出そう。例えば、「おっとりしている」「神経質」「真面目」「かわいいものがすき」「クールなものがすき」などの性格・趣味などの、その人を構成するひとつの要素が「マインド」である。

普段私たちは、その人の外見や雰囲気から性格を類推してしまう。外見や雰囲気がクールだったら、マインドもクールなのではないかと。しかし考えてほしい。「様々な要素」を持っているのが人間だ。おばあちゃんっ子だけどバリバリのヤンキーだったり、乙女趣味だけど性格自体はサバサバしていてクールな雰囲気だったり、クマみたいな強面オーラを放っているけれども実際はやさしかったり。

つまり、人は様々な要素(マインド)を持っているため、外見や雰囲気に現れる「要素(マインド)」と、絵柄に現れる「要素(マインド)」が必ずしも一致するとは限らないのである。ガサツで女心なんかわからんが「美しいものが好き」という感性をこころのすみっこに持つ男性が、ものすごく女性的で繊細なイラストを描いても、何らおかしくないのだ。

反対に、「その人」を構成する要素(マインド)が比較的少なく(裏表がなく単純)、とあるひとつの特性(マインド)がその人を大きく占めている場合は「作者の外見・雰囲気」と「絵柄」が一致する可能性が高い。「女の子らしく可愛いものがだいすき」で「普段からフリフリの服を着用」している人が「お姫様みたいな絵を描く」ように。この場合は「〇〇さんの絵って本人の雰囲気とすごい似てるよね〜」となるのである。

話が広がってきたのでまとめよう。まず大前提として「人は様々な要素(マインド)を持っている」。そして、外見や雰囲気に現れる「要素(マインド)」と、絵柄に現れる「要素(マインド)」は必ずしも一致しない。そのため、「作者の外見・雰囲気と絵柄が似ない」こともある。だが絵というのは、たしかに作者が持っている「ある一要素(マインド)」によって描かれるものである。

以上の謎理論を踏まえて私は、「絵柄は、作者のとある一側面のマインドに、似る」と思うのである。

話は逸れるが、逆に「文章」は絵と違って、その人の「素のマインド」はあまり出ないものだなと思う。どちらかというと理性で制御するものであって、文章にはその人が抱いている「理想」や「意識的に演じている自分」が反映されているなと思う。

長々と書き綴ってしまいもうすぐ2000字に達しそうだ。最後に、巷で多く語られる「絵柄が作者の外見・雰囲気に似る」かについても私の偏見で書いておこう。苦情は受け付けない。

「作者の外見・雰囲気」と「絵柄」が一致する割合は2割ぐらい。逆に「絵と本人真逆じゃん!」となるのも2割、残りの6割は「似てるわけでも、似てないわけでもないな・・」となる、気がする。

私の絵が、私の外見・雰囲気に似ているのかは、私自身では知り得ない。なんとなく「足の形」「肩まわり」の人体デッサンは自分の身体の形に近いように描いてしまうという自覚はあるが。雰囲気に関しては完璧に客観視することは事実上不可能である。私に実際に会ったことのある人は、どう思っているのだろうか。

 

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